八坂神社

やさかじんじゃ

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寄瀬の天王様

いよいよ!

大原はだか祭り平成25年 氏子一同 

寄瀬の天王様

寄瀬の天王様1月7日7月7日八坂神社では、天王祭りが執り行われます。当神社は病の神様です。
七草を食す日ともされております。みなさんも1月7日、7月7日はぜひ、八坂神社へお参りして、一年の健康をお祈りして下さい。

八坂神社の歴史

当社は、治承四年(1180)、右兵衛佐源頼朝の歓請と伝えられ、明治44年に無格社最上神社を合祀した。
戦前は、社殿をめぐり数百年を経た古松が風到をそえていたが、ことごとく枯れ、往時の面影はない。
年三回の祭典があるが、俗に「寄瀬の天王様」と呼ばれ、一月七日の祭典は近郷からの参詣者で賑う。
行事 天王祭り 1月7日、7月7日
祭神名 素盞嗚命(スサノオノミコト)
地区名 北寄瀬区
治承4年(1180年)、源頼朝が疫病の難を防ぐため、素盞嗚命(スサノオノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノカミ)
〜神輿について〜屋根の形が唐破風(カラハフ)。通称女神輿祇園守りの紋が屋根に描かれている。反対側にも同じものがある。
神社の特徴 明智左馬助琵琶湖渡りの図絵馬 源為朝大島配流之図絵馬 東海道五十三次桑名之図
住所
〒298-0004
いすみ市大原7004
案内図

商品案内

商品・サービス 価格・料金 説明・内容
12月4日 朝神輿作り
八坂神社にて
朝寒い中、8時半から御霊入れを行い、神輿作り、幟立てなど着々と準備をする。とても気持ちが高ぶる時間です。
村廻り
県営住宅付近
北寄瀬地区は、造成区画が増え、村廻りの工程も、昔よりは長くなりました。
村廻り2
佐瀬木工所付近
北寄瀬の村廻りはなぜだか細い道ほど盛り上がる。ここも走りっぱなしの四番組弾丸ストレート!!
役場
大原町役場
町役場として最後の日を迎えた庁舎に、各地区の神輿が集まり、大原町との別れを惜しんだ。神輿を合わせ、素晴らしい光景でした。
大別れ
北寄瀬造成地まん中の十字路
この日の北寄瀬には5社の神輿が集まり、大別れをおこなった。上寄瀬、深堀、新田、畑、そして北寄瀬。これが通称『やまんて』の神輿だけ集まった別れである。9月の祭りでは、夜中にこの造成地の道で、4社で素晴らしく楽しく、燃える出来事が行われているのである。それは・・・
宮入り
八坂神社にて
宮入りの時はすでに日も落ち、寒さも一段と厳しかったが、氏子達は興奮冷めぬままとてもいい汗を流し、やりきった満足感でいい宮入りを迎えられた。
花納め
八坂神社の宮内で
宮入りも終わり、すぐに幟下げ、神輿仕舞いを終えて、氏子みんなで花納め。あったかいものが本当にうまかった。
花納め2
八坂神社の宮内で
神社の宮内はもちろん板の間!!酒を飲んでも飲んでも足はひゃっけーこと!でも本当にいいマチだったと言えますね。みんないい表情です。
力石の傳承
境内
昔この地は、広く奥深い波静かな入江であったと云われております。そして良好な泊地であった。当八坂神社は、この入江の入口近くに祀られており、広く村人と共に出入りする船人より篤い信仰を受けていた。この『力石』は、当時泊地に出入りする船の航行、安全を祈願し、当社に奉納された碇である。以来、氏子の若者の力試しなどの力石として親しまれ継承されて現在に至っている。「寄瀬」と言う地名は、「波が寄せる」からきたと云われております。
茂神神社
境内
境内には、『茂神神社』(もがみ)を合祀。なぜモガミがこの字になったかは、深〜い訳が・・・
天王様
鳥居正面
幟があがると、雰囲気がでます。
天王様
宮正面
お宮も化粧をほどこして・・
天王様
宮内
宮内には、神主さんと巫女さんもおりますので、ぜひご参拝に。
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