岩船八幡神社
いつ頃できたか?
地区名 浪花・岩船祭神名 誉田別命(応神天皇)、神功皇后、武内宿禰、他75柱建立 1200年代後半と思われる。(関東周辺の八幡神社は、1200年後半鶴岡八幡宮から勧請され村の鎮守となったものがほとんどで当神社もその一つと思われる。
又、1275年9月岩船釣師海岸に漂着した75座の神々を合せて祀ってあることからも同時代と推定される)
又、1275年9月岩船釣師海岸に漂着した75座の神々を合せて祀ってあることからも同時代と推定される)
行事
9月23日、24日の例大祭。◎9月23日、朝挙行の「七十五座神事(町無形文化財)」 1275年当時 75座の神々を供応した故事、伝承の儀式。
歳旦祭(1月2日)、建国祭(2月11日)、新嘗祭(11月23日)。
歳旦祭(1月2日)、建国祭(2月11日)、新嘗祭(11月23日)。
神輿・神社の特徴
神輿 明治11年8月造(旧、小沢村 池田清左衛門 作) 平成元年9月造(夷隅町 二代目麻生甚太郎 作)
双方共に、唐破風造り黒の漆塗り、お頭りは梨子地仕上げ。やや小振りであるが、姿・型は当方随一と言われている。
又、鳳凰(新神輿用)は手打ち仕上げで当地方では類をみない。
◎岩船は江戸期から昭和初期まで「あぐり漁」を主に漁業が盛んであったことから祭礼は勿論のこと神社護持に力を注ぎ、今にも残る境内の佇まいと財物を大切に、そして伝承と伝統を次世代に引き継いで行くことが氏子の心意気である。(大原の網元の多くは岩船の出身で、後背地が広く又交通至便な大原港が開かれるにつれ「あぐり漁」は小浜方面に発展してゆきました。そうした事から祭礼時に各地区・集落に地縁が多い「岩船八幡様」は、仲裁神輿としての存在でした。)
岩船区の北端に位置する社殿は大正7年9月造営の八幡造り、約75、境内は約7300(約2210坪)あり、前面は杉木立、後背は自然の山に囲まれ、まさに鎮守の森の佇まいを保ち、大原町内随一の里宮である。
双方共に、唐破風造り黒の漆塗り、お頭りは梨子地仕上げ。やや小振りであるが、姿・型は当方随一と言われている。
又、鳳凰(新神輿用)は手打ち仕上げで当地方では類をみない。
◎岩船は江戸期から昭和初期まで「あぐり漁」を主に漁業が盛んであったことから祭礼は勿論のこと神社護持に力を注ぎ、今にも残る境内の佇まいと財物を大切に、そして伝承と伝統を次世代に引き継いで行くことが氏子の心意気である。(大原の網元の多くは岩船の出身で、後背地が広く又交通至便な大原港が開かれるにつれ「あぐり漁」は小浜方面に発展してゆきました。そうした事から祭礼時に各地区・集落に地縁が多い「岩船八幡様」は、仲裁神輿としての存在でした。)
岩船区の北端に位置する社殿は大正7年9月造営の八幡造り、約75、境内は約7300(約2210坪)あり、前面は杉木立、後背は自然の山に囲まれ、まさに鎮守の森の佇まいを保ち、大原町内随一の里宮である。